☆ | セラピストが催眠療法の適応にならないと判断したケースでは、お問い合わせや初回相談の段階で、セッションをお断りするケースがあります。 |
実際に体験するまでは、自分は催眠療法を素直に受け入れる性格ではないと思っていましたが、わりとすんなり入って行けたと思います。
ただ自分が思いもよらない言葉を口にしていたようで、驚いた場面もありました。本当に不思議な感覚でした。何故かいつも勝手に涙が出てしまい、自分ではどうすることも出来ませんでした。正直セッション中は辛いことが多いです。
本当に父母の言葉なのか、私の先入観や思い込みによる言葉なのかわからないところもあります。色々な事情から両親を好きになれないのは事実でした。時々襲われるミゾオチの痛みがストレスによるものだとわかってホッとしたし、実際にその後は痛みは出ていないので忘れていました!
セッションを受けた後は心が軽くなって、穏やかな気持ちでいられます。いつも人に振りまわされて嫌と言えない自分が大嫌いだけど、少しづつ変わってきたと思います。
家族の事、仕事の事で相談をさせて頂きました。
現状や感じていること、将来の希望など、じっくりと時間をかけて優しく聞いてくださり徐々に穏やかな気持ちなっていくのがわかりました。
そんな穏やかな空気の中、前世療法にはいっていきました。
そして今の私の問題に影響している前世に行くことが出来て前世の私に会うことが出来たのです。
メッセージをしっかりと受けとりました。
ふっと不安になるときは、このメッセージを思い出して「大丈夫」と自分に話しかけています。
「話を聞こうか?」と先生から声をかけられて、(えっ、なんで?)と思いました。「疲れた顔しているから、少し話してみない?」
確かに、そのころ長年連れ添った主人との離婚を考えていました。顔に出ていたのですね。当時は主人が交通事故に会い、足の複雑骨折で一か月の入院。その間の主人の母の世話も大変で、私はこんなに頑張っているのにねぎらいの言葉もない主人に愛想をつかしていました。こころもからだもへとへと。彼は私が優しく接しない事が不満なようで、食事を別々に摂っている状態でした。私は娘たちにも別れるつもりだと話していました。
しかし、何と言っても、一番のダメージは前年夏に母が逝ってしまったことです。突然倒れたので結構引きづっていました。大分、痩せてしまって、安定剤無しでは夜眠れませんでした。
そして、もう一つの悩みの種は長年続いている長女との不和。中学時代に私が厳しくし過ぎた事を未だ不満に思っているようで、大学生になっても態度が悪く、益々私の小言が多くなってしまいます。彼女は私と関わりたくないのだと思います。
こんな話を吐き出しました。
『ご主人、大変だったね。』
そうね、ちょっと大変だったかも…
『上の娘さんの良いところはどこ?』
あまりないけど、成績は良い。粘り強くやると決めた事はやり通す。刺繍が上手い。スタイルは良い。なんて絞り出してみました。
『そうそう、ほら あるじゃないの!』
ちょっとスタンスを変えてみると、主人は入院中に私が毎日見舞いに行かなかったことが蟠りの原因だったとわかりました。(私だって大変だったのに何甘えているのよ!)と思いましたが、口には出しませんでした。お互いが甘えていたのです。
次第に被り物を脱ぐように、私の中で切り替わるものがありました。
(いいよ。甘えさせてあげるよ。)と思うようになり、できるだけ主人と話をするように心掛け、優しく接するようにしました。一緒に食事をしようと誘い、これから先も仲良く暮らしていこうと話しました。事故から三年経った今では二人で外出することも多くなり、結構仲良し夫婦になっています。
(私の方が一回り大きいのよ!)と内心で思っています。
良いことを学ばせていただいて、今では 何事にも 優しい気持ちで接して行こうと考えています。
長女は社会に出て、多少 母の意見が正しい事もあると感じてきたようですが、まだまだ様々な面において調整中です。ただ、話をする時間は確実に多くなっています。
娘にも 何事にも優しく接していこうね。と伝えています。